そういえば、旦那さんって誰だっけ?
アイドルとして活躍していた松浦亜弥さんは結婚、出産して幸せそうな過程を築いています。
実は2011年に病気の治療に専念するために芸能活動を休止していました。
今回は、松浦亜弥さんが不妊になってしまった病気、松浦亜弥さんの旦那さん、不妊治療して生まれた子供について調べてみました。
松浦亜弥(あやや)のプロフィール
生年月日:1986年6月25日
出身地:兵庫県姫路市
血液型:B型
活動期間:2000年~2013年2000年に歌手デビューに先だって「美・少女日記」に出演し、14歳で女優としてデビューした。
2001年4月11日、「ドッキドキ!LOVEメール」で歌手としてメジャーデビュー。
2013年の年末イベントで完全に活動休止となる。wikiより
2013年に結婚ってことは12年間もの長い間交際し続けてたんだにゃ。
15歳から交際開始し、27歳で結婚ってものすごい大恋愛だったんですね。
「皆様ご無沙汰しております。松浦亜弥です。」の書き出しで、橘との入籍を報告。「今までに何度か交際などの報道がありましたが、自分たちが発言する時は、応援してくださるファンの方含め、私に関わるすべての方にご迷惑をかけることのないよう結婚のタイミングでと決めておりましたのできちんとした報告ができず申し訳ありませんでした」と説明した上で、「今年の冬で12年の付き合いになりますが、私の青春には、すべて彼がいます。悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと、楽しいこと全部です。」と橘との“12年愛”を告白した。
松浦亜弥の夫はw-inds.の橘慶太
出身地:福岡県
職業:歌手、ダンサー
活動期間:2000年~松浦亜弥よりも1歳年上。
ダンスボーカルユニット:w-inds.のメンバーでソロ活動中はKEITA名義で活動。
松浦亜弥と同じ日に結婚を発表し婚姻届けを提出する。
松浦亜弥さんが15歳、橘さんが16歳の時に交際をしています。時期的には高校生ぐらいからでしょうか。
高校生から12年も交際を続けて結婚するってすごいです。
ちなみに2001年から交際開始ということは二人ともほぼデビュー時期からですね。
松浦亜弥の3人の子供と出産時期について調べてみた
第一子
二人の連名のファクスで「この度、無事に第一子の女児を出産いたしましたことをご報告させていただきます。母子共に健康です。新しい日々に、まだバタバタとしていますが毎日笑顔のあふれた幸せな時間を過ごしております」と喜びいっぱいに報告した。
一人目は2014年に女の子を出産しました。
第二子
橘は生まれたばかりの子供の手の写真とともに「家族が増えました」と報告。「父親として沢山の事を学び、成長して良い音楽を届けられる様に頑張ります。これからもどうぞよろしくお願い致します」と決意を新たにした。
橘慶太&松浦亜弥に第2子誕生 橘がインスタで発表「家族が増えました」
2018年に松浦さんは第二子を出産。
第三子
家族5人と思われる手の写真を投稿し、「皆様にご報告があります。先日、家族が増えました。これまで以上に仕事に精を尽くし大切な家族と共に成長していけるように頑張ります。日本で一番バキバキに歌って踊れる3児の父を目指します。笑これからもどうぞよろしくお願い致します!」と記した。
2020年12月9日に三人目となる子供を出産しました。
この時点で松浦亜弥さんは34歳ですのでもしかしたら4人目は作る予定はないのかもしれません。
松浦亜弥は不妊治療を2007年からしていた
デビュー当時からアイドルとして「あやや」の愛称で活躍してきた松浦亜弥さんですが、芸能人で不妊治療してきた一人です。
2014年に第一子を出産していますが、実は2007年から子宮内膜症という病気を患っていました。
子宮内膜またはそれに似た組織が何らかの原因で、本来あるべき子宮の内側以外の場所で発生し発育する疾患が子宮内膜症です。20~30代の女性で発症することが多く、そのピークは30~34歳にあるといわれています。
子宮内膜症は女性ホルモンの影響で月経周期に合わせて増殖し、月経時の血液が排出されずにプールされたり、周囲の組織と癒着をおこしてさまざまな痛みをもたらしたりします。また、不妊症の原因にもなります。
日本産婦人科学会より
また、子宮内膜症は、どの治療法を選択しても将来的に再発する頻度が高いことや、卵巣の子宮内膜症性のう胞は長い年月を経ると稀ではありますが癌化することなどから、長期にわたる経過観察が必要です。
松浦亜弥さんは2007年から子宮内膜症を患っていて2011年に病気を公表し、治療に専念するため芸能活動を休止していました。
子宮内膜症は月経が止まると病巣部が委縮して病気が改善することがあります。そのため、妊娠することで子宮内膜症がよくなります。
松浦亜弥さんは2007年に子宮内膜症、2013年に結婚し2014年に第一子を出産していることから、発症から7年もかかっていました。